管理人のぼやき
2010年になってしまいました。
皆様その後、いかがお過ごしでしょうか?
昨年は、皆様から貴重なご意見を頂戴し、お礼の一言も無かった事をお詫びします。
いづのめ教団も相も変わらぬご様子・・・・
2010年初めての投稿は、管理人の単なるボヤキを投稿したいと思います。
以下、管理人のボヤキです。(読んで頂かなくて結構です)
神とはなんだろう?
神は何処にいるのか?
っとふと思いました。
世界救世教の宗教観ではなく。純粋にそう思いました。
八百万の神という言葉が日本には古来から存在します。
大雑把に言ってしまえば、水にも空気にも人(現世に居られない方も含)にも自然災害などの事象にも全てに神が存在している。という神道の考え方です。
決して、唯一神観では無いという事です。
なぜ、世界救世教は真の一元化(合一)が果たせないのでしょうか?
なぜ、全ての宗教が合一を果たせないのでしょうか?
ここで思うのは、合一の定義とはなんだろう?という事でした。
字の通り、「合って一つになる」事なのですが・・・
何が合って一つになるのか・・・?
ちょっと話がそれてしまいますが、昨今の訳の分からない殺人事件や、急増する自殺者などなど。
キーワードは「敬い」
八百万の神という考えを主軸に置くなら、自分も神であり、他者もまた神です。
人(自分・他者など)を敬い、自然に畏敬の念を持てば複雑な宗教観など要らないと思います・・・全てが神ですから・・・
そこでふと思った事が・・・
神を敬う事ができ、なぜ他者を敬う事ができないのか。
また逆も然りですが・・・
他者や自分を敬う事ができず、神を敬うことができるのか?
という事です。
神を敬う事を忘れると、人を敬う事もできないのではないかと・・・
人を敬う事を忘れた人間が、神を敬う事はできないのはではないかと・・・
敬いや畏敬の念が欠如している為、お互いが理解し合えず、人が個として、どんどん孤立していくのではないのでしょうか?
敬いや畏敬の念が欠如している為、こんなに精神的に豊かではない人が増えているのではないのでしょうか?
私が考える合一とは
「敬う」ただこれ一つの事を合にする事だと思いました。私の中では「敬う=感謝」に近いですが(笑)
これさえ全人類が共有できれば、全世界に存在する宗教も合一できるかもしれません(笑)
どの宗教もそうですが、人を殺せ・不幸にしろ。という事は説いていません。(悪魔的宗教やカルトを除く)
人が幸せに生きていく為の道を説いているはずです。
なぜ、宗教同士がいがみ合ったりするのでしょうか?
そこにはやはり、「金」というキーワードが存在します。財上を考えたらそうなってしまいますね。
そこで・・・
宗教と政治の違いは何か?
私はこう考えています。
宗教は制約が至極(究極的には思想一つのみ)少ない為、理想を極限まで追求できる。
政治は制約(人・物・金・時間・多彩な思想など)が多い為、妥協の連続。
よって理想を極限まで追求する事が困難。
世界救世教の言っている一元化(合一)とはなんでしょうか?
A.政治的制約に妥協し、組織として合一する事なのでしょうか?
B.それとも信仰(宗教観)を合一する事なのでしょうか?
Bであれば、信仰の話であり、元は一つですから、合一は可能だと思います。
Aであれば、それは宗教でも何でもなく、政治ですから妥協をしないと不可能です。これこそ物質文明である現代社会をそのまま反映される形でしか合一は不可能であり、信仰の話を出す必要すら無い事であるため、信徒を巻き込むのは、お門違いだと思いました。
両方をもって一元化・・精神世界が物質世界に反映されるならば、Bの合一もまだまだ・・・という事ですかね・・・
こんな時代・・・
政治家が夢を語れないなら、宗教が理想論を究極に突き詰め、人々の心を豊かにする役割が重要ではないかと思います。
宗教団体・・・像・・・?
より良く人が幸せに生涯を送るに必要な、精神的年齢を重ねる機会を与える場を提供する事が、本来あるべき姿の宗教団体だと私は思います。精神的な豊かさを求め合う勉強会かな(笑)
世界救世教いづのめ教団の専従者の役割も勝手に考えてみた・・・
答えは、明主様のお言葉を「生きた言葉」として信徒に代弁すること。
これのみで良いと思いました。
私のような低俗な人間は生きた言葉でしか理解できない事が多いのです。
何を言いたいのか自分でも分からなくなってしまいましたが、以上、管理人のボヤキでした。
纏まりませんでしたが、書かずにはいられない自分がいる事に感謝。書ける場所がある事にも感謝。見て頂いた方にも感謝。
感謝ばかりですね。
失礼しました。
皆様その後、いかがお過ごしでしょうか?
昨年は、皆様から貴重なご意見を頂戴し、お礼の一言も無かった事をお詫びします。
いづのめ教団も相も変わらぬご様子・・・・
2010年初めての投稿は、管理人の単なるボヤキを投稿したいと思います。
以下、管理人のボヤキです。(読んで頂かなくて結構です)
神とはなんだろう?
神は何処にいるのか?
っとふと思いました。
世界救世教の宗教観ではなく。純粋にそう思いました。
八百万の神という言葉が日本には古来から存在します。
大雑把に言ってしまえば、水にも空気にも人(現世に居られない方も含)にも自然災害などの事象にも全てに神が存在している。という神道の考え方です。
決して、唯一神観では無いという事です。
なぜ、世界救世教は真の一元化(合一)が果たせないのでしょうか?
なぜ、全ての宗教が合一を果たせないのでしょうか?
ここで思うのは、合一の定義とはなんだろう?という事でした。
字の通り、「合って一つになる」事なのですが・・・
何が合って一つになるのか・・・?
ちょっと話がそれてしまいますが、昨今の訳の分からない殺人事件や、急増する自殺者などなど。
キーワードは「敬い」
八百万の神という考えを主軸に置くなら、自分も神であり、他者もまた神です。
人(自分・他者など)を敬い、自然に畏敬の念を持てば複雑な宗教観など要らないと思います・・・全てが神ですから・・・
そこでふと思った事が・・・
神を敬う事ができ、なぜ他者を敬う事ができないのか。
また逆も然りですが・・・
他者や自分を敬う事ができず、神を敬うことができるのか?
という事です。
神を敬う事を忘れると、人を敬う事もできないのではないかと・・・
人を敬う事を忘れた人間が、神を敬う事はできないのはではないかと・・・
敬いや畏敬の念が欠如している為、お互いが理解し合えず、人が個として、どんどん孤立していくのではないのでしょうか?
敬いや畏敬の念が欠如している為、こんなに精神的に豊かではない人が増えているのではないのでしょうか?
私が考える合一とは
「敬う」ただこれ一つの事を合にする事だと思いました。私の中では「敬う=感謝」に近いですが(笑)
これさえ全人類が共有できれば、全世界に存在する宗教も合一できるかもしれません(笑)
どの宗教もそうですが、人を殺せ・不幸にしろ。という事は説いていません。(悪魔的宗教やカルトを除く)
人が幸せに生きていく為の道を説いているはずです。
なぜ、宗教同士がいがみ合ったりするのでしょうか?
そこにはやはり、「金」というキーワードが存在します。財上を考えたらそうなってしまいますね。
そこで・・・
宗教と政治の違いは何か?
私はこう考えています。
宗教は制約が至極(究極的には思想一つのみ)少ない為、理想を極限まで追求できる。
政治は制約(人・物・金・時間・多彩な思想など)が多い為、妥協の連続。
よって理想を極限まで追求する事が困難。
世界救世教の言っている一元化(合一)とはなんでしょうか?
A.政治的制約に妥協し、組織として合一する事なのでしょうか?
B.それとも信仰(宗教観)を合一する事なのでしょうか?
Bであれば、信仰の話であり、元は一つですから、合一は可能だと思います。
Aであれば、それは宗教でも何でもなく、政治ですから妥協をしないと不可能です。これこそ物質文明である現代社会をそのまま反映される形でしか合一は不可能であり、信仰の話を出す必要すら無い事であるため、信徒を巻き込むのは、お門違いだと思いました。
両方をもって一元化・・精神世界が物質世界に反映されるならば、Bの合一もまだまだ・・・という事ですかね・・・
こんな時代・・・
政治家が夢を語れないなら、宗教が理想論を究極に突き詰め、人々の心を豊かにする役割が重要ではないかと思います。
宗教団体・・・像・・・?
より良く人が幸せに生涯を送るに必要な、精神的年齢を重ねる機会を与える場を提供する事が、本来あるべき姿の宗教団体だと私は思います。精神的な豊かさを求め合う勉強会かな(笑)
世界救世教いづのめ教団の専従者の役割も勝手に考えてみた・・・
答えは、明主様のお言葉を「生きた言葉」として信徒に代弁すること。
これのみで良いと思いました。
私のような低俗な人間は生きた言葉でしか理解できない事が多いのです。
何を言いたいのか自分でも分からなくなってしまいましたが、以上、管理人のボヤキでした。
纏まりませんでしたが、書かずにはいられない自分がいる事に感謝。書ける場所がある事にも感謝。見て頂いた方にも感謝。
感謝ばかりですね。
失礼しました。
教主様の新年ご挨拶と大経綸9号からは信仰の誠が感じられない
花鳥風月さんからの投稿を紹介します。
今年の教主様の新年ご挨拶と「大経綸9号」を読んで、私達信徒にとっては何が何だかさっぱり分かりませんでした。
「大同和平、真の一元化、教団浄化を浄化たらしめる」そういうことが成し遂げられる信仰的な誠が全く感じられなかった。専従者の世界だけしか通じない、責任回避、言い訳、そしてみ教えのつまみ食いだけがちりばめられたえせ信仰の見本ではないかと感じました。
「はっきり言います!!」
明主様に対し、誰がどのように信仰的な責任をとるのですか。
さらに聞きます、20数年間の教団浄化の結果として許された和解が、教主様・三代様を初めとした全専従者の信仰を8年間をかけて成就しなっかった、その事に対する明主様へのお詫びの気持ちを教主様・三代様・教団執行部は信者や社会に分かるように何故発表しないのですか。
私達は教主様・三代様のことはよく解りません、ですから今ここでは何も申し上げられません。
しかし渡辺執行部に対しては、はっきり申し上げなければなりません。
「いづのめ教団執行部の信仰が、気づき改まらない限り、教団浄化も真の一元化も明主様がお許しにならない」と言うことを明確に申し上げなければなりません。
それ故私たち信徒から見た、その理由をこれから申し上げます。
平成17年12月23日、教主様はいづのめ教団役員を召集され、そこで渡辺氏の理事長継続を表明されたと聞いています。
「真の一元化」の歩みの崩壊はここから始まったと、いま、私達は明確に思っています。
何故なら渡辺理事長が、山○秘書室長の公金横領を不問にして自分の方に引き入れるという多数派工作を成功させ、そして山本氏作成の怪文書の内容を現教区長初め多くの専従者・信者に語り、後藤宣教局長と小林人事委員長はこの渡辺・山本の野合を成功させる為情報操作を行ない、その上、中川氏、安野氏、山岡氏、葛原氏の四名を反教主との烙印を押し、執行部から追放したとのこと。
ブログをみたり、専従者の噂話を聞いていると、こっちのほうが真実のように感じます。
こうなると、まさに渡辺氏はじめ六名(山本氏急死のため現在五名)の役員の、目的の為には手段を選ばぬルール違反によって「教主中心」の美名のもとに「教団私物化」と「教主信仰(人間信仰)」が作り上げられているのが「いづのめ教団」の現状であると言わざるを得ないのであります。
現実に見えているのは、渡辺理事長が65歳の定年を迎え、理事長を続けたいとの野望から間違った歩みが始まったと言うことは推測がつきます。
教団のルールとしての定年制を一度はきちんと話し合い、けじめをつけてから先に進むべきだと考えていた3人の役員と中川氏を排除するために、教主様を騙し、みんなを騙して、理事長の座を奪取し、イエスマンばかりを集めて自分だけに都合の良い執行部体制を作っていると言うことではないでしょうか。
騙せるはずのない神を騙し、信徒を騙して出発した渡辺執行部に神が力を貸すはずがないと思います。だから「真の一元化」も明主様が許されるはずがないのであります。
教主様教主様と、いかにも教主様を中心に信仰体制を構築しているように見えますが、実は成果さえ出せば何をしてもかまわないというような、人間力に頼ったその場しのぎの宣教活動が今も続いているだけのこと。
信徒の誠を欺くという土台のうえに、何か成果となる物を作ろうとしているが、「全く新しい営み」などどこにも感じられない状況であります。
そして、さらに執行部は、この権力奪取の大成功に慢心し、「真の一元化」をなし崩しにして、渡辺哲男氏に都合の良い包括法人世界救世教づくりを目標に、なりふり構わず奔走しているように見えます。
その第一番の提灯持ちは堀口信徒総代で、ブラジルにまで呼び出され、ちやほやされて今や、渡辺氏の傀儡信徒総代として権勢の頂点にいます。
まさに傀儡であります。
一方の中川氏及び三人の前役員も“見ざる、聞かざる、言わざる”と言う態度でいるのはどういう事なのでしょうか。
この欺瞞に満ちた教団の中で、改革派の仮面をかぶって要領よく善人ぶっているだけではないか、そんな不誠実な人間だったのかと思いたくなります。
自分たちの人生を懸けて何故本当のことを教主様はじめみんなに発表しないのか。
あなたたちは本当にみ教えを学んできたのか、学んでいるのか、み教えを学んでなんかいないのだろう。
自分たちに都合の良いところだけ利用して信者に押しつけてきただけではないか。
信仰の世界、専従者の世界は命がけではないのか、専従者が「誠」にいのちを懸けているという思いが伝わるから、私達「活動信者」は信仰心をお伝えし、ご用を他の信者にお願いしてゆくことができるのではないですか。
中川さん、安野氏、山岡氏、葛原氏、自分たちが信じる信仰の書状をしたため、なんとかいう教主様の公邸にお届けするぐらいの気概はないのですか。
もしも受け取ってもらえないなら、公邸に入れてもらえないなら、門前で教主様をお待ちすればいいではないか。
風に吹かれ雨や雪に打たれても赤誠の思いをお伝えするべきではないのか。
もしも貴方たちが仮面をかぶった偽善者なら私達は、はっきり言う、「恥を知れ、恥を」と。
このように信仰心を大切にしないで、明主様への誠を粗末にし信者を欺く、そんな執行部が存在する間は明主様はさらに混乱の浄化を下さることと思います。
一日も早く執行部が気づき改め、新しい教団として「真の一元化」が成就 してくれることを祈り続けます。
そして、中川さん達4人も正々堂々と教主様・三代様にお会いして、事実真実に基づく信仰信念を伝えるべきだと思います。是非とも、教団浄化の20数年間、信仰の上で苦しみ続けた「活動信者」のために教主様との話し合いを実行して下さい。
以 上
今年の教主様の新年ご挨拶と「大経綸9号」を読んで、私達信徒にとっては何が何だかさっぱり分かりませんでした。
「大同和平、真の一元化、教団浄化を浄化たらしめる」そういうことが成し遂げられる信仰的な誠が全く感じられなかった。専従者の世界だけしか通じない、責任回避、言い訳、そしてみ教えのつまみ食いだけがちりばめられたえせ信仰の見本ではないかと感じました。
「はっきり言います!!」
明主様に対し、誰がどのように信仰的な責任をとるのですか。
さらに聞きます、20数年間の教団浄化の結果として許された和解が、教主様・三代様を初めとした全専従者の信仰を8年間をかけて成就しなっかった、その事に対する明主様へのお詫びの気持ちを教主様・三代様・教団執行部は信者や社会に分かるように何故発表しないのですか。
私達は教主様・三代様のことはよく解りません、ですから今ここでは何も申し上げられません。
しかし渡辺執行部に対しては、はっきり申し上げなければなりません。
「いづのめ教団執行部の信仰が、気づき改まらない限り、教団浄化も真の一元化も明主様がお許しにならない」と言うことを明確に申し上げなければなりません。
それ故私たち信徒から見た、その理由をこれから申し上げます。
平成17年12月23日、教主様はいづのめ教団役員を召集され、そこで渡辺氏の理事長継続を表明されたと聞いています。
「真の一元化」の歩みの崩壊はここから始まったと、いま、私達は明確に思っています。
何故なら渡辺理事長が、山○秘書室長の公金横領を不問にして自分の方に引き入れるという多数派工作を成功させ、そして山本氏作成の怪文書の内容を現教区長初め多くの専従者・信者に語り、後藤宣教局長と小林人事委員長はこの渡辺・山本の野合を成功させる為情報操作を行ない、その上、中川氏、安野氏、山岡氏、葛原氏の四名を反教主との烙印を押し、執行部から追放したとのこと。
ブログをみたり、専従者の噂話を聞いていると、こっちのほうが真実のように感じます。
こうなると、まさに渡辺氏はじめ六名(山本氏急死のため現在五名)の役員の、目的の為には手段を選ばぬルール違反によって「教主中心」の美名のもとに「教団私物化」と「教主信仰(人間信仰)」が作り上げられているのが「いづのめ教団」の現状であると言わざるを得ないのであります。
現実に見えているのは、渡辺理事長が65歳の定年を迎え、理事長を続けたいとの野望から間違った歩みが始まったと言うことは推測がつきます。
教団のルールとしての定年制を一度はきちんと話し合い、けじめをつけてから先に進むべきだと考えていた3人の役員と中川氏を排除するために、教主様を騙し、みんなを騙して、理事長の座を奪取し、イエスマンばかりを集めて自分だけに都合の良い執行部体制を作っていると言うことではないでしょうか。
騙せるはずのない神を騙し、信徒を騙して出発した渡辺執行部に神が力を貸すはずがないと思います。だから「真の一元化」も明主様が許されるはずがないのであります。
教主様教主様と、いかにも教主様を中心に信仰体制を構築しているように見えますが、実は成果さえ出せば何をしてもかまわないというような、人間力に頼ったその場しのぎの宣教活動が今も続いているだけのこと。
信徒の誠を欺くという土台のうえに、何か成果となる物を作ろうとしているが、「全く新しい営み」などどこにも感じられない状況であります。
そして、さらに執行部は、この権力奪取の大成功に慢心し、「真の一元化」をなし崩しにして、渡辺哲男氏に都合の良い包括法人世界救世教づくりを目標に、なりふり構わず奔走しているように見えます。
その第一番の提灯持ちは堀口信徒総代で、ブラジルにまで呼び出され、ちやほやされて今や、渡辺氏の傀儡信徒総代として権勢の頂点にいます。
まさに傀儡であります。
一方の中川氏及び三人の前役員も“見ざる、聞かざる、言わざる”と言う態度でいるのはどういう事なのでしょうか。
この欺瞞に満ちた教団の中で、改革派の仮面をかぶって要領よく善人ぶっているだけではないか、そんな不誠実な人間だったのかと思いたくなります。
自分たちの人生を懸けて何故本当のことを教主様はじめみんなに発表しないのか。
あなたたちは本当にみ教えを学んできたのか、学んでいるのか、み教えを学んでなんかいないのだろう。
自分たちに都合の良いところだけ利用して信者に押しつけてきただけではないか。
信仰の世界、専従者の世界は命がけではないのか、専従者が「誠」にいのちを懸けているという思いが伝わるから、私達「活動信者」は信仰心をお伝えし、ご用を他の信者にお願いしてゆくことができるのではないですか。
中川さん、安野氏、山岡氏、葛原氏、自分たちが信じる信仰の書状をしたため、なんとかいう教主様の公邸にお届けするぐらいの気概はないのですか。
もしも受け取ってもらえないなら、公邸に入れてもらえないなら、門前で教主様をお待ちすればいいではないか。
風に吹かれ雨や雪に打たれても赤誠の思いをお伝えするべきではないのか。
もしも貴方たちが仮面をかぶった偽善者なら私達は、はっきり言う、「恥を知れ、恥を」と。
このように信仰心を大切にしないで、明主様への誠を粗末にし信者を欺く、そんな執行部が存在する間は明主様はさらに混乱の浄化を下さることと思います。
一日も早く執行部が気づき改め、新しい教団として「真の一元化」が成就 してくれることを祈り続けます。
そして、中川さん達4人も正々堂々と教主様・三代様にお会いして、事実真実に基づく信仰信念を伝えるべきだと思います。是非とも、教団浄化の20数年間、信仰の上で苦しみ続けた「活動信者」のために教主様との話し合いを実行して下さい。
以 上
教主様・渡辺理事長・いづのめ教団の皆様へ
教主様・渡辺理事長・いづのめ教団の皆様へ
先ず始めに至らない私達のブログが教団全体にご迷惑をおかけして居ることと存じ、申し訳なくお詫び申し上げます。
どうかお許しください。
いづのめ教団の信者・専従者の皆様の中には「どんな理由があろうともブログなどで、教団の恥を世間にさらすのは悪いことだ」という声があることを聞いています。
「今は世の中の浄化を救う時なのに、そういう大事なことをほっといて、ブログのようなくだらないことをする人間は信仰者としてなってない」という思いがあることも知らされています。
それは私達のメンバーにとっては大変悲しい声です。
しかし私達は去る2月10日の「真の一元化」に関する渡辺理事長指導の内容は本当に理解出来ないのです。
あの後、後藤役員大野役員は必死になって、渡辺理事長は「真の一元化」をやるつもりだから指導の内容を誤解しないように、という言い訳をしていたそうですが、それならそのように自分たちが率先して「真の一元化」を進めてゆくかどうかを私達はじっと見届けてゆきます。
嘘偽りがないように見つめてゆきます。
私達は皆で申し合わせています。
けっして私達を非難する声や嘘・言い訳に対して怒りの感情は持たない、恨みの気持ちも持たない。
ただあるがままを静かに受け入れよう、そして自分たちがおごり高ぶらないように、きつく戒め合い誓い合っています。
自分たちがお互いに心の陰がないように確認し、あとは教主様のお言葉を学びつつみ教えを心新たに学び、誠の信仰を現在のご経綸に添って実践していけばよいとみんなで明るく確かめ合っています。
私達はいま静かですが明確な心で、お互いの信仰を信じ合っています。
そしてお互いの行動を理解し合い助け合おうとしています。
私達のブログを良く読んでいただけば、おわかり頂けますが、私達の考え方は一色ではなく幾つもの点で、違いがあります。
まず、今回のいづのめ教団浄化の中心的存在である中川氏と三人の役員の言行に対する考え方、もう一方の中心的存在である渡辺哲男氏の言行に対する考え方、渡辺執行部の中核になっている小林・後藤氏に対する考え方、堀口信徒総代に対する考え、そして何よりも教主様三代様(宗家)に対する考え方などについて私達は一色ではありません。
むろん共通している部分は大きいのですが矢張りそれぞれ違いがあります。
それは家庭環境や信仰経歴など違っていることが多いので、意見が違っているからこそ仲間となっていく間にたくさんの考え方を学び合い身につけています。
私達のこのブログには、教団浄化20年間に起こった信徒の心の傷や信仰の挫折が綴られています。
信仰の挫折、家庭の揺らぎ、家族・親戚・縁者間の断絶、仲間意識の崩壊、そしてつまるところは信徒間に生まれたお互いの不信と、教主様をはじめとする全専従者に対する不信感が綴られています。
そしてその増大と固定化が、世界救世教組織全体の不振となって目の前に迫ってきている現実が綴られています。
このような目に見えない霊的な問題の深さは計り知れないものがあると感じています。
さらに体的な面でも私達は大きな浄化を戴いています。
それは20年間にどれだけの浄財がドブに捨てられるように、社会の為にも、教団の為にも使われずに浪費されたかと言うことです。
これはけっして法律的に不正があったとか、次元の低いことを言っているのではありません。
もっと信仰者として戒めねばならないこと、即ち不当な金銭の莫大な浪費が行われたのに、それが自分たちの良心と信仰の欠如によるものだと言うことを、いづのめ教団浄化の中にいる多くの専従者が今もって気づいていないことです。そしてそのような専従者が渡辺執行部の下で増加しているというゆゆしき事実です。
さらに私達の代表である信徒総代さえも、そのような過ちに気づかず、専従者として誤った道を歩む執行部の提灯持ちをしているという恐るべき現実です。
この事の意味は、20年間の教団浄化を浄化たらしめられない専従者と信徒総代が、教団を牛耳っているという信じられないような危機的現実が到来しているということです。
ここで20年間でどれだけの浄財が不当に浪費されたか少し考えてみましょう。
まず裁判の費用、そして教団浄化によって増加した拠点の賃借料・管理費、対策活動の為の旅費交通費、宿泊費、会議費、そして信徒自身が聖地や県本部での集会や動員の為につかった旅費、対策活動の為の交通費等も含め、三つの教団の経費と信者が使った費用、さらに今回明らかになった「いづのめ教団」の浪費分もすべてを合わせたら、どれだけの金額になるのでしょうか。
私は300〜400億円になるのではないかと思います。
もしもこの20年間が教団浄化でなく単なる争いとして終結してゆくならば、即ち「真の一元化」を霊体ともに達成せず、包括・被包括体制を続けるという渡辺理事長指導の内容を実現したとすると、このような浪費を明主様はどのように思われるか、専従者の方々は考えたことがあるのでしょうか。
「景仰」にありますように明主様は、ご自分はお米でなく代用食を食べられ、鼻紙は乾かして何度も使われました、それほど信者の献金即ち神様のお金を明主様は大切にされたことを私達は教えていただいてまいりました。
そのように明主様が主神のご神業に捧げられた誠を大切になさっていたということを、渡辺執行部や部下の専従者は考えたことがあるのでしょうか。
もしも渡辺執行部に少しでも反省心が残っているなら中川さんや「三人の理事」達と話し合えないはずはありませんね、しかし何故かこの二年間渡辺さん達は話す事を拒み続けています。
これは間違いなく渡辺執行部に虚偽、ごまかしがあって、中川さん達4人の人たちに正々堂々と会うことが出来ないのだ、と私達は確信するに至っております。それ故私達が全専従者に訴えたいのはこの20年間の信徒、特に「活動信者」の苦労と心の傷跡です。
このブログに出ている信徒達の苦労は本当に氷山の一角であり、筆舌に尽くせぬ思いの中で「活動信者」達は明主様と教団に誠を捧げてきたと言う事実です。
さらに言いたいのはこの信者の悲しい思い、教団と教主様を愛し、専従者を信じたいが為に苦しむ「活動信者」の真心を、結局は教主様も専従者も、分かってくれないのではないかと言うことです。
私達のグループは今この事を問います、「教主様、全専従者の皆さんは、本当に明主様を信じているのか、信者を愛しているのか」と問います。
何故なら2月10日の渡辺理事長指導の内容からは、「大同和平」「真の一元化」に向かう誠を、少しも感じ取ることが出来なかったからです。今は渡辺執行部に対しては、不信任の気持ちしかわいてきません。
一方の中川、安野、山岡、葛原の「4氏」にも聞きたい、貴方たちの動きも良く分からないからです。
噂では「真の一元化」には前向きのようだが、見方によってはそつなく要領良く、渡辺執行部とナーナーの話し合いでやっているのではないかと聞きたい。
「4氏」が本当に信者を思い、明主様を信じ、教団を愛するというならば、霊体共に明主様中心の「真の一元化」に向かって真っ直ぐ進んでゆく、そのような誠を尽くす姿を見せるべきだと思っています。もしも「4氏」が「真の一元化」を阻むならば私達は許さない、「退職金」は総べて返納していただき「4氏」が全信徒に詫びるまで私達の総力をあげて活動しなければならないと思っています。
信者の誠をもてあそぶと言うことでは、「4氏」に限らず全専従者の皆さんの言動に注目しています。
もしもこの20年間の教団浄化を浄化たらしめず、渡辺執行部のように、専従者の欺瞞に満ちた身勝手な言い分で信仰改革を行わず、包括被包括体制を続けて、「大同和平」「真の一元化」を行わないというならば、私達は、明主様がどんなに悲しまれるかをあらゆる方法で著しお伝えし続ける覚悟です。
その対象は専従者のトップである教主様、三代様とても例外ではありません。
そのことの意味を私達「活動信者」は全専従者が間違いなく受け止め実践するまであらゆる手段を使って発信し続けるつもりです。
もしもいづのめ教団浄化と「真の一元化」がこれ以上うやむやになってゆくなら、今回の教団浄化の中で私達が知り得た事件に加えて、昭和40年代の「教団一元化」の時以来私達「活動信者」が、望まないのに知ることになった信じられない悲しい過ち、三代教主様・宗家も関わった悲しい事実、それを権力奪取の為に利用しようとした唾棄すべき専従者をも含めて、惹起した事件を総べて社会に問うことに成ると思います。そして教団全体の厳しい危機の中から、本当に明主様を信じ信者を愛し社会を救う使命感が、明確な専従者の立ち上がりを期待するつもりです。
そうしなければ昭和40年代から教団浄化の中で明主様を信じ、「世界救世教」に奉仕の誠を捧げてきた私達「活動信者」はその信仰をどうやって子供や孫に伝えたらいいか分からなくなるからです。
専従者は、明主様が本当に、本気で「真の一元化」をなさろうとしていることを理解すべきだと思います。
「真の一元化」に向けての信仰改革にきちんと参加するか否かが、専従者や信徒一人一人にとって、21世紀のご神業を担えるか否かという立て分けの試験であると、火水土ネットワークの全員は考えています。
このブログは私達の必死の信仰の願いと信徒を思う愛情であり明主様への誠として受け止めてもらいたい。
いま、火水土ネットワークの「活動信者」に怒りの声がないと言えば嘘になります。
強い怒りの心が相乗効果のように高まってしまいます。
この心の状況を素直に認めその事が皆様にご迷惑をおかけしている事について、明主様と皆様にお詫びします。
そして教主様が仰るように、すべてを主神と明主様に捧げお委ね申し上げます。
本当に申し訳ないと存じます、お許し下さい。
教主様のお言葉にならい、私たちも畏れながら主神のみ旨が、世界救世教及びこの地上に現れてくださるようお祈りさせて戴きます。
火水土ネットワーク一同
先ず始めに至らない私達のブログが教団全体にご迷惑をおかけして居ることと存じ、申し訳なくお詫び申し上げます。
どうかお許しください。
いづのめ教団の信者・専従者の皆様の中には「どんな理由があろうともブログなどで、教団の恥を世間にさらすのは悪いことだ」という声があることを聞いています。
「今は世の中の浄化を救う時なのに、そういう大事なことをほっといて、ブログのようなくだらないことをする人間は信仰者としてなってない」という思いがあることも知らされています。
それは私達のメンバーにとっては大変悲しい声です。
しかし私達は去る2月10日の「真の一元化」に関する渡辺理事長指導の内容は本当に理解出来ないのです。
あの後、後藤役員大野役員は必死になって、渡辺理事長は「真の一元化」をやるつもりだから指導の内容を誤解しないように、という言い訳をしていたそうですが、それならそのように自分たちが率先して「真の一元化」を進めてゆくかどうかを私達はじっと見届けてゆきます。
嘘偽りがないように見つめてゆきます。
私達は皆で申し合わせています。
けっして私達を非難する声や嘘・言い訳に対して怒りの感情は持たない、恨みの気持ちも持たない。
ただあるがままを静かに受け入れよう、そして自分たちがおごり高ぶらないように、きつく戒め合い誓い合っています。
自分たちがお互いに心の陰がないように確認し、あとは教主様のお言葉を学びつつみ教えを心新たに学び、誠の信仰を現在のご経綸に添って実践していけばよいとみんなで明るく確かめ合っています。
私達はいま静かですが明確な心で、お互いの信仰を信じ合っています。
そしてお互いの行動を理解し合い助け合おうとしています。
私達のブログを良く読んでいただけば、おわかり頂けますが、私達の考え方は一色ではなく幾つもの点で、違いがあります。
まず、今回のいづのめ教団浄化の中心的存在である中川氏と三人の役員の言行に対する考え方、もう一方の中心的存在である渡辺哲男氏の言行に対する考え方、渡辺執行部の中核になっている小林・後藤氏に対する考え方、堀口信徒総代に対する考え、そして何よりも教主様三代様(宗家)に対する考え方などについて私達は一色ではありません。
むろん共通している部分は大きいのですが矢張りそれぞれ違いがあります。
それは家庭環境や信仰経歴など違っていることが多いので、意見が違っているからこそ仲間となっていく間にたくさんの考え方を学び合い身につけています。
私達のこのブログには、教団浄化20年間に起こった信徒の心の傷や信仰の挫折が綴られています。
信仰の挫折、家庭の揺らぎ、家族・親戚・縁者間の断絶、仲間意識の崩壊、そしてつまるところは信徒間に生まれたお互いの不信と、教主様をはじめとする全専従者に対する不信感が綴られています。
そしてその増大と固定化が、世界救世教組織全体の不振となって目の前に迫ってきている現実が綴られています。
このような目に見えない霊的な問題の深さは計り知れないものがあると感じています。
さらに体的な面でも私達は大きな浄化を戴いています。
それは20年間にどれだけの浄財がドブに捨てられるように、社会の為にも、教団の為にも使われずに浪費されたかと言うことです。
これはけっして法律的に不正があったとか、次元の低いことを言っているのではありません。
もっと信仰者として戒めねばならないこと、即ち不当な金銭の莫大な浪費が行われたのに、それが自分たちの良心と信仰の欠如によるものだと言うことを、いづのめ教団浄化の中にいる多くの専従者が今もって気づいていないことです。そしてそのような専従者が渡辺執行部の下で増加しているというゆゆしき事実です。
さらに私達の代表である信徒総代さえも、そのような過ちに気づかず、専従者として誤った道を歩む執行部の提灯持ちをしているという恐るべき現実です。
この事の意味は、20年間の教団浄化を浄化たらしめられない専従者と信徒総代が、教団を牛耳っているという信じられないような危機的現実が到来しているということです。
ここで20年間でどれだけの浄財が不当に浪費されたか少し考えてみましょう。
まず裁判の費用、そして教団浄化によって増加した拠点の賃借料・管理費、対策活動の為の旅費交通費、宿泊費、会議費、そして信徒自身が聖地や県本部での集会や動員の為につかった旅費、対策活動の為の交通費等も含め、三つの教団の経費と信者が使った費用、さらに今回明らかになった「いづのめ教団」の浪費分もすべてを合わせたら、どれだけの金額になるのでしょうか。
私は300〜400億円になるのではないかと思います。
もしもこの20年間が教団浄化でなく単なる争いとして終結してゆくならば、即ち「真の一元化」を霊体ともに達成せず、包括・被包括体制を続けるという渡辺理事長指導の内容を実現したとすると、このような浪費を明主様はどのように思われるか、専従者の方々は考えたことがあるのでしょうか。
「景仰」にありますように明主様は、ご自分はお米でなく代用食を食べられ、鼻紙は乾かして何度も使われました、それほど信者の献金即ち神様のお金を明主様は大切にされたことを私達は教えていただいてまいりました。
そのように明主様が主神のご神業に捧げられた誠を大切になさっていたということを、渡辺執行部や部下の専従者は考えたことがあるのでしょうか。
もしも渡辺執行部に少しでも反省心が残っているなら中川さんや「三人の理事」達と話し合えないはずはありませんね、しかし何故かこの二年間渡辺さん達は話す事を拒み続けています。
これは間違いなく渡辺執行部に虚偽、ごまかしがあって、中川さん達4人の人たちに正々堂々と会うことが出来ないのだ、と私達は確信するに至っております。それ故私達が全専従者に訴えたいのはこの20年間の信徒、特に「活動信者」の苦労と心の傷跡です。
このブログに出ている信徒達の苦労は本当に氷山の一角であり、筆舌に尽くせぬ思いの中で「活動信者」達は明主様と教団に誠を捧げてきたと言う事実です。
さらに言いたいのはこの信者の悲しい思い、教団と教主様を愛し、専従者を信じたいが為に苦しむ「活動信者」の真心を、結局は教主様も専従者も、分かってくれないのではないかと言うことです。
私達のグループは今この事を問います、「教主様、全専従者の皆さんは、本当に明主様を信じているのか、信者を愛しているのか」と問います。
何故なら2月10日の渡辺理事長指導の内容からは、「大同和平」「真の一元化」に向かう誠を、少しも感じ取ることが出来なかったからです。今は渡辺執行部に対しては、不信任の気持ちしかわいてきません。
一方の中川、安野、山岡、葛原の「4氏」にも聞きたい、貴方たちの動きも良く分からないからです。
噂では「真の一元化」には前向きのようだが、見方によってはそつなく要領良く、渡辺執行部とナーナーの話し合いでやっているのではないかと聞きたい。
「4氏」が本当に信者を思い、明主様を信じ、教団を愛するというならば、霊体共に明主様中心の「真の一元化」に向かって真っ直ぐ進んでゆく、そのような誠を尽くす姿を見せるべきだと思っています。もしも「4氏」が「真の一元化」を阻むならば私達は許さない、「退職金」は総べて返納していただき「4氏」が全信徒に詫びるまで私達の総力をあげて活動しなければならないと思っています。
信者の誠をもてあそぶと言うことでは、「4氏」に限らず全専従者の皆さんの言動に注目しています。
もしもこの20年間の教団浄化を浄化たらしめず、渡辺執行部のように、専従者の欺瞞に満ちた身勝手な言い分で信仰改革を行わず、包括被包括体制を続けて、「大同和平」「真の一元化」を行わないというならば、私達は、明主様がどんなに悲しまれるかをあらゆる方法で著しお伝えし続ける覚悟です。
その対象は専従者のトップである教主様、三代様とても例外ではありません。
そのことの意味を私達「活動信者」は全専従者が間違いなく受け止め実践するまであらゆる手段を使って発信し続けるつもりです。
もしもいづのめ教団浄化と「真の一元化」がこれ以上うやむやになってゆくなら、今回の教団浄化の中で私達が知り得た事件に加えて、昭和40年代の「教団一元化」の時以来私達「活動信者」が、望まないのに知ることになった信じられない悲しい過ち、三代教主様・宗家も関わった悲しい事実、それを権力奪取の為に利用しようとした唾棄すべき専従者をも含めて、惹起した事件を総べて社会に問うことに成ると思います。そして教団全体の厳しい危機の中から、本当に明主様を信じ信者を愛し社会を救う使命感が、明確な専従者の立ち上がりを期待するつもりです。
そうしなければ昭和40年代から教団浄化の中で明主様を信じ、「世界救世教」に奉仕の誠を捧げてきた私達「活動信者」はその信仰をどうやって子供や孫に伝えたらいいか分からなくなるからです。
専従者は、明主様が本当に、本気で「真の一元化」をなさろうとしていることを理解すべきだと思います。
「真の一元化」に向けての信仰改革にきちんと参加するか否かが、専従者や信徒一人一人にとって、21世紀のご神業を担えるか否かという立て分けの試験であると、火水土ネットワークの全員は考えています。
このブログは私達の必死の信仰の願いと信徒を思う愛情であり明主様への誠として受け止めてもらいたい。
いま、火水土ネットワークの「活動信者」に怒りの声がないと言えば嘘になります。
強い怒りの心が相乗効果のように高まってしまいます。
この心の状況を素直に認めその事が皆様にご迷惑をおかけしている事について、明主様と皆様にお詫びします。
そして教主様が仰るように、すべてを主神と明主様に捧げお委ね申し上げます。
本当に申し訳ないと存じます、お許し下さい。
教主様のお言葉にならい、私たちも畏れながら主神のみ旨が、世界救世教及びこの地上に現れてくださるようお祈りさせて戴きます。
火水土ネットワーク一同



